〈検証 カフェG事件〉
2005-12
「私は光州を知らない」
京都市美術館 別館
◆京都市美術館 別館「私は光州を知らない」展〜プレスリリースよりより〜
1980年韓国、長く続いた軍政に対し、学生、市民による民主化要求運動は前年に引き続き強まっていった。5月15日にはソウルで5万人、翌16日に は光州で3万人のデモが行われた。それに対して前年末クーデターにより成立した新軍部は全国に戒厳令を敷き、
金大中ら民主人士や市民・学生を逮捕し鎮圧 しようとした。18日、軍は屈しない光州に対して、2万の完全武装軍を投入。光州市民はその蛮行に反発し、30万の市民が抗争に参加した。10日間に及ぶ軍の武力制圧により、学生・市民等200余名の死者、5000名以上の負傷者をだした。光州事件(光州虐殺)である。光州で流された多くの血は、その後の韓国民主化の礎となった。
あれから25年が過ぎた。
日本の社会、そして韓国の社会も変化した。「鋼鉄の時代」20世紀から「電子の時代」21世紀へと歯車は周り、慌ただしく乗り換えを余儀なくされた 人々は自らの意識の働きを変化させた。急速な変化は図らずも日本に韓流ブームというものさえ巻き起こした。韓国では日本文化が解禁された。
光州事件ばかりでなく、「鋼鉄の時代」の事件や出来事は、引き出しに仕舞われることもなく、そのまま置き去りにされた。充分な「精製」も「刻印」もせずに人々は行ってしまった。いや、行かざるをえなかった。
今年2月、光州民主化運動25周年を追悼する展覧会が沖縄の佐喜真美術館で行われた。光州事件を東アジアにおける反国家暴力へのさきがけとして評価し、未来に向けて平和を祈念しようとするもので、続けて12月に京都でも企画された。在日コリアンアーティスト・ネットワークであるアルン(AREUM Art Network)は、この企画に共鳴し、それに呼応するAREUM企画展を行うこととした。
AREUM企画展『私は光州を知らない』には、あえて25年前を知らない若いアーティスト6名が選定された。彼らは歴史を振り返る、再考するといったことより、放置された事件、時間を日本の今日的状況の空隙から「出会う」作業に取り組んだ。
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