今年はほとんど見ていなかったのだが、NHKの大河ドラマ『義経』、
テレビをつけると今日は壇ノ浦の合戦の回だったので観た。
私の出身地下関が歴史に大きく関わっていたことは、なんとなく小さいときから知っていたものの。
高校は壇ノ浦から近いところにあったし、住んでいたのは長府という城下町だというのに、
どうして歴史に興味を持たなかったかね。
結局壇ノ浦の合戦で平家が滅亡した、という教科書くらいのことしか知らない。
みもすそって子供ながら変わった名前だなあと思っていた。
母親に聞いていた話によると、入水した安徳天皇が身に付けていた布が流れ着いたので
みもすそ(御裳)という地名になった、とまことしやかに教えられていたことを覚えているが、
調べてみると違うみたい。
安徳天皇と一緒に入水した二位尼の辞世の歌、
今ぞ知る
みもすそ川の
御ながれ
波の下にも
みやこありとは
からみもすそ川という地名が生じたということらしいが・・・。
じゃあ歌にあるみもすそ川って何?
もしかして関門海峡そのものを川とたとえたのか知らん。
下関条約の時には池に思わせようとしたり、とにかく向こう岸の九州門司までは確かに近い。
海の下を歩いて渡れるトンネルがあるくらいだからね。
というオチのないエントリーでした。
お?雷がゴロゴロ鳴って、激しい雨が降り出したぞ。
Posted by shed at 2005年09月04日 21:14