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長唄「浅妻船」

長唄「浅妻船」(あさづまぶね)は、本名題「波枕月浅妻」(なみまくらつきのあさづま)といい、文政三年九月、江戸中村座で三世坂東三津五郎丈の演じた七変化「月雪花名残文台」の一つです。
 浅妻船というのは、慶長の頃、近江の国の浅妻の里のあたりで,船に遊女をのせて媚を売っていたものを称するのですが、元禄の頃、江戸の画家で通人でもあった英一蝶(多賀潮湖)が、船中で烏帽子、水干姿の美女が鞨鼓を打って舞っている姿を描き、これに「仇し仇浪よせては返る波、浅妻船のあさましや・・・」の賛をつけた「百人上臈」の一枚が浅妻船として有名になりました。しかし、これは時の将軍綱吉と愛妾おでんの方を諷刺したと幕府に咎められ、一蝶は十二年の間三宅島に流されたといいます。
 「浅妻船」の舞踊は、その英一蝶の画にある烏帽子・水干の姿を取り上げたものです。秋の月の美しい景色の中、舟の中で鼓を持つ情景にはじまり、「そも鞨鼓のはじまりは」から唐の玄宗皇帝と楊貴妃との恋を思い起こし、遊女のわが身上を思うクドキから手踊り、鞨鼓をつけた舞、鈴太鼓を持った振り、中啓の舞など、月を愛でて踊り込んでいく内容です。


平成19年5月
「多佳広会 おさらい会」


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