芸術論
「本物と偽物を見極める」
長いので時間と集中力のある時にお読みください(笑)。
現代というすべてがお金を得るための競争社会になるように仕組まれている資本主義の世界は、物質的にある社会階級の一握りの人が桁外れに裕福になっていく一方、社会全体を見渡した時、人間の精神面、文化面の野蛮化、退行化を奨励しているかのように思われる時代である。私は、特に、そのような風潮が強いアメリカにいるのでさらに敏感にそう感じるのかもしれない。でも、他の地に行っても多少差はあれ、それを同じように感じてしまう。
日々の過剰な不必要な情報量に人々の精神が磨耗され、人は自己の価値基準より業者やメディアが植えつける価値基準に耳を傾けるようだ。知らない間に人間の価値感の基準が、物欲に摩り替えられて歪められていく。こういう時代に、本当に芸術家の才能と魂を世に出すことを真剣に考える画廊を見つけるのは、至難の業だ。
「人がアートだと言えば、それはアート。」
そんな言葉を耳にした。とても、心が痛かった。
アートの根本たる存在理由がそこまで格下げされてしまったのだろうか。
そして、もし、人はそれを疑問にも思わないとしたら、現代人の目と心は節穴になってしまったのだろうか。
芸術は、観る人の主観がものをいうのは、確かだ。どんな素晴らしいアートに何も感じない人だって、ごみをアートと呼ぶ人だって結局は、観る人の主観で結果的にその人が目に入った対象物の価値を決めている。でも、作品を観る時のあなたの価値基準はあなた自身の素直な気持ちですか?それとも誰かにそう感じるように言われたのですか?と聞いてみたくなる。作品を見るとき、邪念を振り払い心を空にし、濁りの無い心の目で観ていますか。有名画廊に置いてあるから本物=人類すべてと分かち合いたい歴史に残る素晴らしい作品だとは限らない。
正直言って、画廊に行くのは、あまり好きではない。
具合が悪くなるのが落ちである。
私の目と心は騙せない。
大方芸術家じゃない人を相手に、魂よりお金を優先した芸術家の作品が目立つ現代アート界。本物じゃない作品をアートだといい、人にそれを売る。作家ももはや、芸術家ではなく、ビジネスマンになり、生き残りの為に売れそうな作品を作る。そういう作品が氾濫する作品群の中では、受け継ぎたい精神は残念ながら見当たらない。次世代に残したい魂も見受けない。そのとき、私の心は、一瞬迷子になる。
本物の芸術を自分で見極める力を得なければ、虚無な情報の波に飲み込まれてしまう。常に、本物と偽物を見極める感性を研ぎ澄ましていたい。、本物と偽物を見極めるのは、自分の責任だから。本物の芸術の役割は、本来お金で買う、買わないの目先の金銭のやり取りの次元の世界ではない。心で感じ、観ることに意味がある世界。それは、崇高なる魂の世界であり、宇宙と繋がっている自分の存在を諭してくれることを私の心は知っている。
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